Story

Case 07

中之島 プロジェクト

中之島フェスティバルタワー ×
中之島フェスティバルタワー・ウエスト

完成から10年目と5年目の節目を迎えた、「中之島フェスティバルタワー」と「中之島フェスティバルタワー・ウエスト」。中之島のランドマークとして営んできた年月を踏まえ、この大規模プロジェクトに関わったうち2名が、当時の心境や今後の思いを語り合いました。

これまでの価値が、これからも輝くように
タワーの未来を支える、
新しい力と共に成長を続ける

中之島の景観を形成し時代を反映し続けた大阪朝日ビル、新朝日ビル、朝日新聞ビル。
この歴史あるビルの思いを受け継ぎ未来へとつなぐ、中之島プロジェクトとは?

新たな街へと再生させる決意と、
タワーの価値を最大限に伝えるために

当時を振り返ると、印象に残っているのが解体の日ですね。私たちが働いていた建物が少しずつ無くなっていく寂しさと共に、「ここから再生がスタートなんだな」と気持ちを新たにできました。

私も工事現場のインパクトが強く残っています。一番は、阪神高速の上部をリフレッシュ工事中の8日間で撤去する作業を見た時に、このプロジェクトの規模の大きさを実感できました。

あと、私はタワーの建設や設計の管理業務の中で、工事現場を社内外の方々に案内する役割も担っていました。

一時期は、毎日のように見学者の方が来られていましたよね。

1組40人を上限に、1日3組とか(笑)。入居予定のお客様だけではなく、建築に関わる学会の方も数多く来ていただきました。

ビルの中に2,700席もの大型ホールがあることや、レベルの高い免震構造が注目を集めていましたね。

その業務に力を注いだ一つの成果として、完成前から評判もよく、注目されるタワーとなったので安心しました。

「ここで働きたい」と感じさせる、思わぬ魅力として際立つ美観や眺望

改めてタワーを眺めると、「もっとこうすればよかったかな」と思う部分もありますよね?

欲を言えばキリがないとはわかっていますが、より良いものを求めようとすれば、そうした気持ちは拭いきれません。

そうですね。私にとっては、ホテルなどの従業員の方々が利用される裏動線です。実際に、働いている姿を見ていると、具体的なイメージが湧いてきますね。

利用者からの問い合わせをきっかけに、地下鉄からのエスカレーターを左側通行(大阪メトロは左側通行を採用)に変更しました。

逆に、想定以上に評判がよかったのが、タワーの美観でしょうか。なかでも、ウエスト側の1階から3階にのぼるエスカレーターの眺めは好評です。

加えて夜は、別のビルからの光が入らず、まるで光の箱が浮かんでいるように見えるんですよね。あれほどアートな雰囲気になるとは。

窓から見える眺望の美しさを、気に入っておられるお客様は多いです。特に、夜は近くを通る阪神高速の灯りと、街を眺める川とのコントラストはすばらしいですね。

設備面の配慮に加え、美観や景観の良さは、快適性を生み出す重要な要素だと思っています。魅力的な建物で働くと、気持ちよく仕事に取り組めますしね。

そう思います。実際、オシャレな建物で仕事をしたいという若い世代が増えているそうです。そういう意味では、入居されるお客様の採用面にもお力添えができているのかなと思っています。

街を再生させ、暮らしを変えたこの場所を、
これからも支える新たな人材に出会いたい

完成から、フェスティバルタワーが10年、フェスティバルタワー・ウエストが5年を過ぎ、プロジェクトに参加した一人としては、あっという間だったというのが本音です。完成してからも、運営管理という立場で何かと慌ただしく過ごしていたので。

私は、フェスティバルタワー完成後に一度、別の部署に移り、こちらのタワーに関わるようになったのは8年ぶりです。どんどん商業施設が充実し、美術館も増え、当時とは見違えるような文化芸術の街に変わったという印象です。

コンラッド大阪もあるので、海外の方がもたらす賑わいが増しました。また、節目の年を越えた今年から、信頼感の象徴として“災害に強いビル”という特長を、もっと打ち出していきたいですね。

このタワーは、災害が起きても操業を続けられるという観点から、Sグレードの耐震性を誇っていますからね。

2018年に発生した大阪府北部地震の時、フェスティバルタワー37階で地上200mの高さにある「ラ・フェットひらまつ」では、ワインやグラスなどが倒れなかったと聞いています。「ひょっとしたら動いていないかも?」程度だったとか(笑)。

また、コロナ禍により、フリーアドレスや各地に点在していた拠点をここでまとめるためのレイアウトの提案など、このビルが持つポテンシャルを最大限に活用できるようになりました。

そうした魅力を途絶えさせないためにも、これからの人材育成に力を注いでいきましょう。

そうですね。そうした若い力が、今後の20年、30年、もっと先のタワーの未来を作っていくと信じています。